vol.31-② ハーモニーではなくポリフォニー?
- 2021年04月09日
- 所長の学び
こんにちは。
悩める子羊の金村です。
前回の続きになります。
前回は、
僕はメンバーのみんなと対話をしているつもりだったけど、本当は対話なんてできてなかった。
ただ「会話」をしていただけ。
相手との「同調」を目指していた会話だっただけ。
きっと同じ考えや気持ちになって安心したかっただけ。
そんなことに気付いた、というお話をさせていただきました。
そして今回は、
じゃあ、「対話」って何なの?ってことについて、金村の学びを話させていただきます。
僕は、ずっと自分以外の他者と会話をする時に、
どこかで相手に求められている答えを探しながら答えていたり、
相手に自分が受け入れられるように演じながら話をしていたように思います。
「こう言えば相手は頷いてくれるかな?」
「相手はきっとこういう答えを期待しているんだ。」
「自分の考えは伏せておいて、相手の考えに同調しておけば嫌われずに済むぞ。」
みたいなことを無意識に考えていたのではないかと、自分の言動を振り返って考えるのです。
それでも、自分とは大いにかけ離れた考えの人がいたら「この人の考えや感覚は理解できない」と思い、これも無意識にですが、相手を遠ざけていたように思います。
そしてそして、
自分の事を分かってくれそうな人には、過度なくらいに自分を開示し、
「わかる!わかる!」と同調してもらえると安心する。
そんなコミュニケーションの取り方をしていたように思います。
冷静に振り返ってみるととても恥ずかしくなります。
※ちなみに日本人はこの傾向が強いそうです。同調性を大事にする文化が昔から根強くあります。「村八分(むらはちぶ)」という言葉なんかはまさに、その象徴のような言葉です。
オープンダイアローグの研修の中で何度も言われることが、
「“ハーモニー” ではなく “ポリフォニー”」
という言葉で、オープンダイアローグの根幹を成している考え方です
※ダイアローグ:対話。(相手と考えを伝えあること)
モノローグ:独り言。(一人で物語を語ること)
オープンダイアローグ:開かれた対話。(考えをはっきりと述べつつも、自分の主張や立場に固執することなく、互いの言わんとする意味を深く探求する会話のこと)
ハーモニー:調和性。(さまざまな声(音)が組み合わさって調和していること)
ポリフォニー:多声性。(さまざまな違った声(音)が協和しあって進行すること)
ここが僕の中で、一番大きな学びとなった所です。
本当の“対話”って、同調すること(ハーモニー)を求めることではなく、むしろその違いをもっと明確にしていくこと(ポリフォニー)だったんです。
これが、自然な事だと気付かされたんです。
これが、当たり前のことなんです。
そりゃそうですよね。
世界中の誰一人として同じ人間なんていないわけですから。
同じ外見をした一卵性双生児ですら、考え方に違いがあるものです。
違いがあるから対話が必要なんですよね。
誰もが同じ考えなら、対話なんて必要ない。
みんなが違うからこそ対話を必要とし、
「私の考えはこうなの。」
「私はこんなこと感じたの。」
「あなたはどんな考えを持っているの?」
「あなたは何を感じているの?」
「へぇ~、そうなんだ。」
「そのこと、もっと深く教えて。」
「ああ、なるほど。こんなところが私とあなたで違うのね。」
「とてもよくわかったよ」
「それじゃあ、こんな私たちでどうしていくかを考えよう」
「お互いにとって良い方法を」
ただ、それだけだったんです。
そこに争いは生まれません。
お互いの違いを違いのままとして認め合える。
だから協力し合えるんだと学びました。
そして、一度の対話では難しくても、対話をし続けていれば、きっとどんな人とも分かり合えるんだろうなと思いました。
そして、こう言う姿勢の人たちでできる集団こそ、本当の多様性を認め合える集団なのではないかとも考えたわけです。
これまで、自分が対話だと思い込んできたことは、自分の意見を相手に押し付ける行為だし、相手の意見に同調する行為だったんです。
そして、相手が僕と話すことを拒否するようになって悲しくなったりもしていましたが、それも自分がちゃんと対話できていなかったからだと分かりました。
イロハを辞めていった方々。
辞めたことを後悔して欲しくないと思いますが、
もっと僕が本当の対話について知っていたのならまた違った結果になっていたのかもしれません。
そんなことを考えてしまいます。
「“ハーモニー”ではなく“ポリフォニー”」
イロハニトイロの皆がそう思える、そんな場所になることを願って、これからも対話を続けて行きたいと思います。
イロハニトイロ 所長
金村栄治